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臨時vol 23 「誰かが声を挙げなければ患者と医師のズレは埋まらない」

医療ガバナンス学会 (2006年8月25日 06:54) | コメント(0)

2006年8月25日発行

川村優希 横浜市立大学医学部1年(悪性リンパ腫治療のため休学中)

               MRICインタビュー vol 14
               聞き手・ロハスメディア 川口恭
               http://www.lohasmedia.co.jp

 
 

――まず、なぜ医師になりたいと思ったのかから教えてください。

 高校1年生の時にNHKのドキュメンタリー番組で、子育てを終えてから医学部に入って僻地医療に携わっている女性を知りました。コミュニティの一員として受け入れられ活躍している姿に、医師ってこんなにも凄い職業なんだ、と感動しました。それまでは、医師の子どもが医師になるんだと漠然と思っていて、親戚に医師はいないので自分が医師になるつもりなんて全くありませんでした。


――それまでは、何になりたかったんですか。

 普通の会社員にはなりたくなかったですね。国を動かす官僚のように、スケールの大きな仕事をしたいと思っていました。

 そして、やはり高一の時にアメリカの9・11テロがあって、人間が最期に頼るのは医師なんだというのを知った時に、医師になろうかと思うようになりました。


――受験勉強中に症状が出てきたんですよね。最初はどんなことから?

 高3の11月に、腕や肩が鈍く重たく感じるようになってきて、何だろうと思っているうちにピリピリ痺れて、手に力が入らなくなったんです。夜も眠れないので、近所の整形外科へ行って1カ月くらい電気治療とか牽引とか整体とかしてもらいましたが全然症状が取れなくて、横浜市立大病院の整形外科を受診しました。MRIを取ったりしましたが、そこでも原因不明と言われ、とりあえず痛み止めを処方してもらって症状が落ち着いたので、そのまま受験しました。

 幸い合格しまして、相変わらず疲れやすいのは残っていたんですけれど、周囲の人がみんな精神的なものだとか、受験疲れだとか言うから、そうなのかなと思っていました。でも入学後3週間で、健康診断の胸部レントゲンに腫瘍らしいものが写っていると呼び出され、大学病院の外科へ行って胸腔鏡で生検しました。その3週間後に結果が出て、即入院、即治療開始です。


――大学病院でも整形外科だと気づかないものなんですね。

 そうですね。他の患者さんでも、最初は整形外科を受診したけれど原因がよく分からなかったという人が多いようです。ただ、自分に関して言うと、受験前に診断がついていたらその時点で治療開始になって受験どころではなかったので、入学後に見つかって良かったと思います。

――診断を聞いた時、どう思いましたか。

 最初は「ほらね、病気だったでしょ」という気持ちでした。それまで病気もしたことがなかったから、入院するというのが普段と違うことで、凄く興奮して。でも、興奮が納まってからは、落ち込みました。大学に入ったらあれがしたいこれがしたい、と思っていたのに、できなくなってしまったということがショック
でした。みんなと違うのが辛くて孤独で。

 そう、髪を切りに行きました。私、ずっと長くしていたんですけれど、副作用で抜けるから掃除が大変だし、長いまま抜けると精神的ダメージも大きい、と看護師さん達が言うので。いつもの美容院で「なんで切っちゃうの?」と聞かれて、「ちょっと気分転換に」と笑うしかできませんでした。

 考えることといえば、どうしよう、どうしようばっかり。信じられないという気持ちと、友達にどうやって言おう、とかがグルグル回って。

――お友達もビックリしていたでしょう。

 入院のはじめのころは、最初は物珍しいのもあると思うんですけど、みんなお見舞いに来てくれたんです。でも、段々来なくなって。メールもゼロ通という日が続くようになって。みんな忙しいのも分かるし、どうやって私に接したらよいのか困惑しているのも分かるんです。せっかく来てくれても、治療の副作用が激しすぎて会えなかったりしましたから。分かるけれど寂しい。

 田中祐次先生(MRIC管理人)が、「死を控えた患者さんが最も恐れているのは、自分が忘れられること」とよく言っていますけれど、入院するのも「忘れられる」の始まりなんだと思います。


――病気に対する情報収集はしませんでしたか。

 パソコンを持ち込んでいたので、悪性リンパ腫の闘病記を随分と読みました。気のことは怖いから知りたくなかったんですけど、抗がん剤治療の副作用のことが心配で心配で。吐き気が辛くなかったという人のを読みたくて、探しまくりました。


――闘病記って、そういう役割があるんですね。どうやって探したんですか。

 ほとんど全部の闘病記が網羅されているんじゃないかというようなリンクページがあって、ステージや状況ごとに分類されているんです。探すのは全然大変じゃありませんでした。


――いよいよ治療に入ったわけですね。いかがでしたか。

 初発でやったのはABVD療法でした。朝から深夜までかける点滴を2週間に1度、5月から11月まで全部で12回でした。辛いんだろうと覚悟はしていましたけれど、それすらはるかに上回るほど吐き気で苦しかったです。それが点滴してから3、4日続くんです。たった3、4日、でも辛すぎて、治療がイヤでイヤで仕方ありませんでした。

 白血球の戻りが悪いと治療が延期になるんです。それが嬉しくて。考えてみれば、全体の治療期間が延びるだけなんですけれど、そんなことも考えられない。回を重ねるごとにどんどんキツくなって、最後の方は点滴の最初に生理食塩水が入っただけで吐いちゃうようになりました。


――治療は効果あったんでしょうか。

 お医者さんからは、「順調に行っている」と聞かされて「良かった」とは思っていました。化学療法が12回終わった後、まだ胸部に少し腫瘍が残っていたので12月に放射線治療をしました。放射線は味覚障害が少しありましたけれど、抗がん剤に比べたら天国でした。そこで寛解になりまして、退院しました。

――退院してからは、どんな生活でしたか。

 3週間に1度、検査のために通院してました。それ以外は、治療で遅れた分を取り戻さなきゃと思って、とにかく普通の大学生がやるような遊びを色々やりました。免許も取りました。で、寒いのにあちこち行ったのが多分良くなかったと思うんですけど、3月にインフルエンザをひきまして、受診したら再発したかもしれないと言われて。その日は帰宅したんですけれど、インフルエンザが治ってからも発熱などの症状が続いたので、結局入院しました。

――再発してしまった。

 はい。初発の時の抗がん剤治療があまりにも辛かったし、再発治療の方が初発治療より大変だから、再発してももう抗がん剤治療はしないと考えていました。けれど、入院したら80歳くらいのおばあさんが点滴をゴロゴロ引っ張って歩いていたんです。それを見て、あれほどの年の人ががんばっているのに、若い私が簡単に生きることをあきらめちゃいけないなと思い直して治療を受けることにしま
した。


――治療はどんなものでしたか。

 まず抗がん剤のBEACOPP療法をして、でも腫瘍がさらに大きくなっていたので、DeVIC療法を挟んで、造血幹細胞の自家移植をしました。移植は9月29日のことでした。

 移植に関しては、闘病記を読んでも辛くなかったという人が見つからなかったんですけれど、でも覚悟していたよりは大変じゃありませんでした。その前の化学療法に関しても、だるさは確かにあったけれど吐き気はそんなになくて十分耐えられるものでした。どうやら初発の時の抗がん剤が、特に相性悪かったようなんですね。抗がん剤といっても、いろいろあるんだなあとは思いました。

 治療の副作用がそんなに辛くなかったけれど、病状は順調とは言えませんでした。まず、原因不明の胸水が溜まって、それが引いたと思ったら溶血していたみたいで血球値が下がってしまいステロイドの投与を受けました。血球が戻ってきたら今度は帯状疱疹が出て。退院できたのは12月になってからでした。


――1年前と同じ12月の退院だったんですね。

 そうなんですよ。前回で懲りているのと、気力が湧かないのとで、今度はほとんど家から出ずに過ごしました。ステロイドの副作用で顔が腫れていたし、カツラをかぶるのも面倒くさいし。まったく同じ季節の繰り返しなので、3月の定期検査の時は、再々発が見つかったらどうしようと不安でした。3月の終わりにステロイドの投与がゼロになってから、徐々に動き始めた感じです。

 初発の時は、とにかく遅れを取り返そうと必死だったけれど、再発後は「治って良かった」と、満足できました。遅れたということを考えないようにしているし、心のコントロールもできるようになりました。

 ただし、ではメンタル面でも完全に治ったか、というと決してそんなことはないんです。後期から復学するので、4月にオリエンテーションに行ったんですね。そこで、元の同級生たちが出し物をやっているのを見ている自分がいて、元気になったんだよと分かってほしくて笑っていたけれど、楽しくて笑っているんじゃないんです。帰ってきたらグッタリと疲れ果てていました。

 髪の毛が戻ってきた時に、毛先をカットすると伸びが速くなるらしいので、美容院へ行ったんです。元の美容院へは行きづらくて別の所へ。でも、「なんでこんなに短くしちゃったの?」と訊かれて、泣いちゃったんですね。「ちょっと病気をして」と言えばいいことだと分かっているけれど、涙がこみ上げてしまった
んです。

 健康な人は、体が治ったらそれで済んだと思っているでしょうが、患者は病気で心も傷つき、その影響を引きずっているんです。心が治るには、はるかに長い時間がかかるような気がします。


――そうかもしれませんね。

 不本意ではあるけれど、ある意味、病気になって良かったのかもしれないとも考えます。あのまま医師になっていたら、知らずに患者さんを傷つけていたかもしれません。今だって、私に分かるのは私のことだけで、他の患者さんのことがすべて分かる訳ではないし、傷つけないという自信もありません。

 初発治療の時、入学して3カ月目の実習で教授回診に同級生が何人か付いてきたことがあったんです。自分はパジャマ、向こうは白衣。同級生たちは無邪気に手を振っていたけれど、こちらはとにかくショックで。患者本人でないと気づかないことなんて山ほどあると思います。

 それから、自分の苦悩は他の患者さんに比べればたいしたことはないとも思います。就職の心配もないし、誰かを養っていて、お金の心配をしなきゃいけないわけでもない。病気のほかに人生の苦悩が加わってしまうと本当に大変だと思います。


――将来はどんな医師になりたいですか。

 治療を受けている時、医師と患者の間にズレがあるのはイヤという程、感じました。けれど、じゃあ自分が医師になったとして、そのズレを埋められるかというと自信がないし、仕方ないことなのかなとも思っていました。けれど、田中先生が「Medicina Nova」を提唱して、超ポジティブに「変えようよ」と言ってい
るのを聞いているうちに、何だかできるような気がしてきて、誰かが声を挙げないと何も変わらないし、私のような経験をして医師になる人間が声を挙げるのも意味があるかなと考えるようになりました。今は、田中先生にくっついて歩いて患者学学会設立のための寄付集めをしています。

 将来なんですけど、主治医が同じ病気で治った経験があったら、患者さんには何よりの勇気づけになると思います。でも、それをやりたいかというと、抗がん剤で患者さんが苦しんでいる時に治療を続けられるか自信がないんです。まだ、自分で客観的に見られてないんでしょうね。だから何科の医師になりたいとか、今の時点では何とも言えないけれど、病気だったことを生かしたいとは思っています。治療していた年月を無駄にしたくないんです。

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