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臨時 vol 88 「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」に対する意見

医療ガバナンス学会 (2008年7月 4日 12:32) | コメント(0) | トラックバック(0)



                     井上 清成(弁護士)

1 第3次試案や第2次試案と同一  第3次試案と第2次試案は、表現こそ変化しているが、その内容において同一である。既にそれぞれの試案に対する意見として提出しているとおり、賛同しえない。この大綱案も第3次試案の法案化に過ぎず、法技術的にいくつかの修正を加えただけのものである。よって、この大綱案に対しても、賛同しえない。 2 大綱案の法技術的な難点  民主党が公表した患者支援法案と比較検討すると、この大綱案には次のとおりの法技術的な難点が存すると思う。  1)医師法21条の拡大強化  2)医師の黙秘権の剥奪  3)行政処分権限の拡大強化  4)現行の業務上過失致死罪の追認  5)医療の行為規範化 3 医師法21条の拡大強化 (1)コロンブスの卵  民主党案によれば、医師法21条全部を削除することとなっている。これは「コロンブスの卵」であろう。今までは、医師法21条自体は存続することを大前提として、いかにして医療事故死を除外するかばかりに腐心していた。しかし、そもそも、殺人による死亡など一般の異状死に医師が接した場合に、その警察への届出を刑罰をもって強制することには、現代において何ら合理性がない。つまり、応招義務(医師法19条)などと同じく、医師の倫理に任せれば十分であり、刑罰によって担保する医師法21条自体が廃止されるべきであろう。 (2)大綱案の逆行性  これに反し、大綱案はむしろ実質的に医師法21条を拡大強化してしまった。  医師法21条の脅威の除去という当初の目標に逆行してしまっている。 (3)「届出をしない」場合にどうなるのか?  医師法21条最大の問題点は、「届出をしない」と医師法21条違反で逮捕されたり処罰されたりすることであった。担当医が合併症などで問題はないと考え「届出をしなかったらどうなるのか?」こそが議論されるべき設定状況である。  大綱案(第33)によれば、検案医が病院管理者への医療事故死の報告をしなかったとすると、まず、医師法21条本文により、従前と同じく処罰されてしまう。そして、それのみにとどまらない。大臣より届出命令が下され、体制整備命令も下される(第32(5)1)。届出命令および体制整備命令に従わないと、やはり刑罰により処罰されてしまう。(第32(9)1)。報告義務違反の刑罰もある(第32(9)2)。 (4)二重の処罰  現行は、医師法21条に違反しても、まさに医師法21条違反というだけであった。ところが、大綱案になると、医師法21条違反の逮捕・処罰は従前通りで、さらに、届出命令違反・体制整備命令違反・報告義務違反という刑罰も加わってしまう。これは今までの単独処罰を二重処罰に拡大強化するものであって、不当である。 4 医師の黙秘権の剥奪 (1)憲法38条の黙秘権保障  医師法21条での届出に引き続く犯罪捜査においてすら、憲法38条に基づき、医師の黙秘権は絶対的なものとして保障されていた。具体的には、質問に対して回答を拒否できることと、質問に対して虚偽の回答をしても処罰されないことである。ところが、大綱案は、これらの絶対的な黙秘権保障を、実質的に剥奪してしまう。 (2)虚偽回答への処罰  犯罪捜査において警察官に対し虚偽の報告・陳述その他の回答をしても、容疑者たる医師は何らの法的責任を負わない。ところが、地方委員会の医療事故調査においては、その報告徴求・質問に対して虚偽の報告や陳述をすると、直ちに刑罰によって処罰されてしまう(第17の1 1-3、第30 1-3)。これは、現行法には存在せず、大綱案によって初めて導入された刑罰である。 (3)質問回答拒否への行政処分  地方委員会の医療事故における報告拒否や質問回答拒否に対して、大綱案は表面上は刑罰を課していない。この一事をもって、強制ではないと評したいようではある。  しかし、報告拒否や質問回答拒否は、実際は、別個の行政処分の存在によって、封じられてしまった。大臣の届出命令・体制整備命令・報告命令・改善命令とその裏付けとしての刑罰がそれである(第32(5)の2・2、(6)、(9)の1・2)。 (4)黙秘権剥奪  医療事故調査における虚偽回答の処罰、大臣の行政処分による回答拒否の実質的制圧は、医師の黙秘権を実質的に剥奪するものと評しえよう。憲法38条の黙秘権保障を潜脱するものとして、不当である。 5 行政処分権限の拡大強化  そもそも、医療事故調査委員会の議論は、医師法21条の脅威を除去すべく、警察への届出から中立的第三者機関への届出へと改めるべく始まった。これが当初の目標であったはずである。犯罪捜査の脅威を縮減することが第1の目的であった。  しかるに、その結果は、行政処分権限の拡大強化ばかりが目立っている。大綱案では、網羅的な医療事故情報収集システムの整備と、新たな行政処分権限の創設とが突出してしまった。第32の「医療法の一部改正」は、そのことばかりである。  今、重要なのは、医療安全のための医療現場からの提案・改善システムの構築であって、行政庁の権限強化ではない。行政改革の国家基本方針にも反する方向性であろう。  医療安全調査委員会の議論に行政処分権限の拡大強化を紛れ込ませるべきではない。大綱案による大臣の届出命令、体制整備命令、報告命令、改善命令等の創設は、不当である。 6 現行の業務上過失致死罪の追認 (1)刑法への対応策  民主党案では、「中・長期的課題」として、医師への刑事処罰を見直す方向性を打ち出した。「医療者による自律的処罰制度の進捗状況などを勘案しつつ、刑法における故意罪と過失罪の在り方や業務上過失致死傷罪などについて諸外国の法制度などを参考に検討し、必要があれば見直す。」とのことである。医師を刑事処罰する悪弊の根幹が、刑法211条1項に定める「業務上過失致死傷罪」の医療への拡大適用にあることは明白であろう。この根幹への対応策を示していることは、新たなステップである。 (2)大綱案による現行法の追認  第3次試案では「重大な過失」と言い、大綱案では「標準的な医療から著しく逸脱」と言い換えるなど、迷走している感は拭えない。重要なことは、そのいずれにしても、医療への業務上過失致死傷罪の適用を大前提とし所与の要件としていることである。この業務上過失致死傷罪の医師への適用こそが根本に横たわっている大問題だ、という問題意識に乏しい。  このまま大綱案を医療界が認めてしまうことは、医療界自身が医療への業務上過失致死罪の適用を認めたことになってしまう。つまり、医療界が現行法解釈を「追認」したことになってしまうのである。 (3)法解釈論ではなく法政策論を  今、議論すべきことは、現行法の解釈論ではない。医療に関わる法律をどうすべきかという法政策論である。  大綱案は、現状の国民意識ないし現行法を、それ自体正当な所与のものとしているに過ぎず、妥当ではない。 7 医療の行為規範化 (1)警察への通知  警察へ通知すべきものとして、第3次試案では「重大な過失」という法律用語が使われていた。そもそも医学的判断をする基準が法律用語であるというのが、矛盾である。  しかも、「重大な過失」の具体例(単純ミスは重大な過失なのか?クーパーの使用は無謀な医療として重大な過失なのか?)さえ、何ら論じられていなかった。 そのためなのか、大綱案(第25 2)では「重大な過失」は削除され、「標準的な医療から著しく逸脱」した場合が、警察への通知対象とされた模様である。だが、このため、逆に、大綱案の問題性がより鮮明になった。 (2)結果回避義務の明文化  もともと過失の本質には争いがある。予見可能性(予見義務、注意義務)を中心に過失を考えるか、それとも、結果回避可能性(結果回避義務、行為義務)を中心に過失を考えるか、という対立と言ってもよいだろう。  文言から明らかなとおり、「標準的な医療から著しく逸脱」というのは、後者(結果回避可能性)を中心に据えた過失論に立脚している。  しかしながら、不確実であって限界も多い医療の特性に鑑みれば、結果回避可能性を中心に考えると、往々にしてそれこそ「結果論」で論じることになってしまい勝ちであろう。  大綱案は、結果回避可能性を中心とした過失論を医療の世界に自ら招き入れる端緒となるものであり、著しく不当である。 (3)「標準的な医療」の法規範化  懸念は尽きない。「標準的な医療」を、誰がどのような形式で定立しようというのであろうか。  もしも「標準的な医療」を厚労省が療養担当規則のような法形式で定立する目論見だとしたならば、医療の国家統制が極大化してしまうことになる。  国民皆保険制を堅持すべきであるから、診療報酬の公定化は甘受せざるを得ないであろう。しかしながら、医療内容の公定化は、医療が臨床医学の実践であって学問の自由に属するものであることなどからしても、是認すべきことではない。

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