臨時 vol 17 「産科医療への誤解を解く」
―日本の赤ちゃんたちは人為的な操作と誘導で生まされているのか?
尼崎医療生協病院 衣笠万里
ここ数年、産科医不足の話題が再三、マスメディアでも取り上げられるように
なってきた。その原因として多くの医師が指摘するものは、まず非人間的とも言
える昼夜を分かたぬ長時間の勤務あるいは拘束と、医事紛争の多さである。筆者
自身、1ヶ月に300時間以上の病院勤務(当直を含む)に入っており、また不本意
ながら医事紛争にも関わってきたので、その二つについて異論はない。もちろん
医事紛争については医療者側に問題がある場合も少なくないだろう。「医師が患
者にきちんと真実を説明して標準的な医療をおこなっておれば、結果責任を問わ
れることはない」、ある市民運動家はこう明言した。しかし私の経験ではそんな
に生易しいものではなかった。「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負け
なし」といわれるが、不幸な転帰に至った症例を後方視的に詳細に分析すれば、
直接の因果関係があるか否かは別にして診療の過程で一つや二つは何らかの瑕疵
が見つかるものである。それを個人の過失として厳しく糾弾されることによって
医師は疲弊していく。
今回は上記の二つ以外にもう一つ産科医のモチベーションを下げているものに
ついて言及したい。それは日本の産科医療に対する評価の低さ、あるいは誤解に
基づく偏見である。国民は日本の産科医療に対してどのようなイメージを抱いて
いるのだろうか?それは言うまでもなくマスコミ報道によって大きく左右されて
いる。たとえば医師主導のお産はやたらと人工的な介入が多く、医学的には不必
要な陣痛促進剤を用いて平日の昼間に出産を終えるように仕向けている。そのた
めに医療事故が後を絶たない。また重症例を「たらい回し」して恥じるところが
ない。一方で助産所は女性が本来持っている「生む力」を最大限に引き出す、安
心で満足度の高いお産を提供している、等々。そのすべてが間違っているとまで
は言えないが、搬送を受け入れられない実情や助産所分娩でのリスクなど、多く
の点で十分に理解されていないことも確かである。たとえば出生時間のコントロー
ルについて触れてみよう。
厚生労働省がまとめた国内の出生に関する統計資料によると、平日午後1-3時
の出生数が抜きん出て多く、単位時間当たりの出生数が夜間帯の2倍以上になっ
ている(文献1)。一方で助産所や自宅での出生数は各時間帯でほぼ均等に分布
しており、むしろ午前中にやや多い傾向であった(文献2)。この事実から、あ
る市民団体は「日本の赤ちゃんたちは産科医の都合で人為的な操作と誘導によっ
て生まされている。つまり陣痛促進剤によって無理やり日中に産まされている」
という推論を繰り返し展開している(文献3)。出生時間の偏りに関する彼らの
解釈は国内に広く普及しており、国会の厚生労働委員会では自民党・民主党・社
民党の議員がそれぞれこのデータを引用の上、「あまりにも不自然な実態」とし
て問題視している(文献4・5)。ちなみにこの社民党議員は小児科医師でもあ
る。
はたして彼らの言う通り、日本の赤ちゃんたちは人為的な操作と誘導で生まさ
れているのだろうか?まず2005年の調査では日本国内で全分娩の17%程度が帝王
切開術(帝切)によっているが、これは欧米と比べて決して高率ではない(米国
では30%近く、他の英語圏諸国でも概ね20%以上である)。その中でも予定帝切は
平日午後に実施される場合が多い。また医学的に正当な理由のある陣痛誘発・促
進も当然存在し、その多くはマンパワーの豊富な平日の日中に実施されている。
実際に筆者が勤務する尼崎医療生協病院での分娩統計に基づいて出生時間の偏
りについて調査した。当院では医学的適応を厳格に守って陣痛促進剤を使用して
いる。原則として妊婦や家族の希望、病院都合による誘発や帝切は実施しておら
ず、分娩予定日超過症例は概ね41週4日以後、前期破水は24時間経過後も陣痛未
発来の症例に誘発を勧めている。それ以外の誘発適応は胎児発育異常・心拍異常、
胎位異常、合併症妊娠例などである。また微弱陣痛のために数時間以上にわたっ
て分娩が進行しておらず、産婦の疲労感が強い場合に促進剤使用を提案し、同意
が得られれば使用している。
2006年における陣痛誘発・促進率は併せて12%であり、帝切率は15%であった。
調査の結果、当院でも平日日中午後(12-18時)の出生数は他の時間帯を大きく
上回っており、出生数全体の28%を占めていた。この比率は2004年の全国集計デー
タとほぼ一致していた。10年前と比較すると、1996年における当院での陣痛誘発
・促進率は16%とやや高かったが、帝切率は6%と低く、平日午後の出生集中率は
24%であり、2006年よりも低かった。実際に分娩様式別に出生時間の分布をみる
と、午後1-2時の出生数のピークはもっぱらその時間帯に選択的帝切(予定帝切)
が集中しているためである。また当院では陣痛誘発例のうち46%が夜間・早朝
(18時-翌朝8時台)に出生しており、必ずしも日中に分娩を終えられるとは限
らない。一方、過去11年間の周産期死亡例(妊娠後期の死産例および早期新生児
死亡例))のうち、入院時には胎児心拍が確認されていて後方視的に救命の可能
性があった症例は6例であったが、そのいずれもが深夜・早朝あるいは休日の分
娩であった。
このように医学的適応を守って帝切や陣痛誘発・促進を行っても、出生時間の
偏りは生じうる。全国データにおける平日午後の出生集中率:28%という数字は
平均帝切率17%という数字から十分に説明可能であり、陣痛促進剤の濫用による
ものではない。一方で監視態勢・緊急対応が手薄になる休日・夜間帯は周産期死
亡のリスクが高くなるため、日中の帝切や陣痛誘発・促進には一定の妥当性があ
る。もちろん今回の検討結果は全国津々浦々で陣痛促進剤が適正使用されている
ことを証明するものではない。しかし強調しておきたいのは、最初に示した時間
別出生数のグラフ―出生時間の偏り―によって日本の産科医療が貶められる根拠
はまったくないということである。
現在、日本における周産期死亡率の低さは世界一の水準である。米国などに比
べればはるかに格安のコストで良質な医療を提供してきたといってよい。われわ
れ産科医は陣痛促進や吸引・鉗子分娩あるいは帝切などの医療の介入について妊
婦や家族に時間が許す限り十分に説明して納得いただいた上で、これらを実施す
べきである。同時に産科医療についての誤解を払拭し正当な評価を受けるために、
社会に対して自ら積極的な情報提供に努める必要がある。
(1)厚生労働省:平成17年度 出生に関する統計の概況
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo05/syussyo3.html
(2)厚生労働省「出生に関する統計」の概況(人口動態統計特殊報告)
http://www-bm.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo-4/syussyo3-7.html
(3)陣痛促進剤による被害を考える会:「陣痛促進剤 あなたはどうする」神戸市 さいろ社
2003年
(4)参議院会議録情報 第164回国会 厚生労働委員会 第26号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/164/0062/16406080062026a.html
(5)衆議院会議録情報 第165回国会 厚生労働委員会 第7号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/165/0097/16512010097007a.html
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