1 はじめに
現在、医療崩壊は止まることなく進行している。国民の生命・健康を維持するために、十全な医療を受けることができる体制づくりは喫緊の課題である。現在、医療崩壊の原因として指摘されているのが?医師患者関係の崩壊、?激務、及び?医療費削減である。
そして、?医師患者関係の崩壊の原因として?民事訴訟の増加?刑事介入?マスコミ報道があげられている。
本稿では、民事訴訟における免責制度について法的考察を行うこととする。現在の混乱を防ぐ議論の端緒となれば幸甚である。
2 民事訴訟の問題点
医療訴訟の原告勝訴率は40%前後(一般民事事件は85%前後)で推移している。雑駁にいえば、問題がない医療を行っているにもかかわらず、訴訟に巻き込まれる危険性が他と比して4倍高い((100-40)÷(100―85))ということである。
にもかかわらず、民法709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とする一方、刑法211条1項は、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する」とあり、医療に関しては、両者の要件がほぼ一致することはこの問題を著しく大きなものとさせる。
原告側弁護人が、相手に圧力をかけるために、告訴をすることを予告して、謝罪させたり、思惑通り相手に動いてもらおうと試みたりすることがしばしば見受けられる。
もし、実際に告訴された場合には、警察にて取り調べを受けることとなり、一定の捜査が終了した場合には、書類送検されることとなる(刑事訴訟法246条)。
その際、何者かから情報提供を受けたマスコミが「医師○○が業務上過失致死の疑いで書類送検された」と実名報道を行うことがしばしば見受けられることから、この問題の影響は測り知れないものである。
医療者にとって、問題のない医療を行っているにもかかわらず、民事訴訟に巻き込まれる可能性があるということは、上記リスクを負うことであり、萎縮医療、救急医療崩壊等は当然の結果と言えよう。
3 免責とは
免責とは、「債務者が債務の全部または一部を免れること」を意味する。即ち、?債務者であること?債務の全部または一部を免れることの両者を満たす必要がある。
ここで言いたいことは、債務者でなければ、そもそも免責云々の議論にならないということである。即ち、免責を得るためには、実体法上、権利が存する場合、又は契約を締結した場合であることが必要である。
一方、債務者であった場合には、債権者の意思表示若しくは、双方の合意により免責を行った場合、又は法律上債務の免除等がなされた場合に初めて免責されたということとなる(以下、「狭義の免責」という)。
ところで、医療従事者にとって重要なことは、上記のとおり、民事訴訟に巻き込まれる可能性を減らすことにある。即ち、当該可能性を減ずることができれば、免責制度である必要はないのである。
以上より、免責的効果を生ずるスキームも含め、考え得る可能性を列挙し、各スキームにつき法的考察を行なってみることとする。
4 考え得る法的スキーム
(1)狭義の免責
ア 狭義の免責
個々に債権者が債務免除を行うことは勿論可能ではあるが、だからといって、
「治療に関連して生じた損害すべてにつき、病院に対し一切の請求を行わない」と
いうような同意書を病院が診療前に得たとしても、公序良俗に反し無効と解されて
いた(現在では、消費者契約法8条により一部免除すら許されなくなっている。)。
それでは、法律上、「損害賠償の請求をすることができない」とすることは、どうであろうか。
最高裁判所判決昭和35年7月6日民集14巻9号1657項によると、「性質上、純然たる訴訟事件につき終局的に事実を確定し権利義務の存否を確定するような裁判が公開の法廷における対審及び判決によってなされないときは、憲法32条・82条の違反である」としており、一見すると、法律上「損害賠償請求できない」とすることは、国民の裁判を受ける権利(憲法32条)を侵害することとなり許されないと考えられそうである。
しかし、憲法32条の保障する「裁判を受ける権利」の内実とは、最高裁判所判決昭和28年12月23日民集7巻13号1561項によると、原判決にて判示された「憲法第三十二条の規定は、民事事件についていえば、何人も裁判所に訴訟を提起するときは、その受理を拒まれ、したがつてまたその審理及び裁判を受けることを拒まれることのないとの趣旨であつて、常に必ず本案それ自体裁判を受ける権利を有することを意味するものではない。訴訟を提起しても、所謂訴訟成立要件を具備していないために、本案前の裁判において訴を不適として却下せられることもあるのであるが、かかる場合でも、裁判を受ける権利を奪われたわけでないことは言を俟たないところである。」を受け、「原判決は、上告人の本訴請求を権利保護の利益なきものとして棄却の裁判をしたものであつて、裁判そのものを拒否したものではなく、憲法三二条に違反したものとはいえない。」としている。
即ち、法律上、「損害賠償請求できない」としても、訴訟提起することはできるのであり、「訴訟要件を欠く」として却下判決を受けることをもって憲法32条の要請は満たしているといえると考えられる。
しかし、「損害賠償請求できない」とすることは、国民の財産権の制限にも該当するのであるから無条件に許されるものではない。
ただ、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」(憲法29条2項)のであり、具体的には、その法律の目的、及び方法が著しく不合理であることが明白でない限り合憲であると考えられている。
また、憲法29条3項は、「私有財産権は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」としている趣旨を鑑みると、「?対価なく?一律に損害賠償請求できない」とすることは、財産権侵害として許容されない可能性が存するものと考える。
イ 対価がある場合
それでは、対価があった場合はどうであろうか。例えば、ある損害に対する適切な損害賠償額がX円であったときに、法律上「X円を給付する」という条項とともに「損害賠償の請求をすることができない」としたとする。この場合、「X円の給付」をすることにより、損害賠償権が消滅してしまう(千円の本を買う場合に、本を受け取り、千円を支払えば、原則権利関係は残らなくなるから、訴えるにも請求自体がないことになる)のであるから、そもそも裁判を受ける権利や財産権の制限にはなりえない。
では、「0.7~0.8X円を給付する。」ではどうか。価額としては、弁護士費
用等裁判において必要となる経費及び、裁判に要する費用・労力を考えると実際上の相当対価と言えるのであるから、方法及び、補償額は正当である。また、目的が著しく不合理であることが明白とは言えないのであるから、合憲と考えられる。
それでは、どこまで係数を下げることができるかであるが、一例として、最高裁判所判決昭和55年11月5日判時986号105項では、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律の適用により、実際に生じた損害額の3%程度まで免責された(97%の免責)事案で「憲法29条1項、2項に違反するものということはできない。」としたものがあるが、法律上可能か否かという議論とは別に、実際に生じた損害を填補する必要性があることは明らかであるので(そのため、司法において医療訴訟の無過失責任化が進んだ)、この議論は適当ではないと考える。
ウ 一律ではない場合(選択できる場合)
例えば、法律上「給付を受けることができる」という条項とともに「給付を受け
た場合には、損害賠償の請求をすることができない」とした場合にはどうであろうか。
この場合、債権者は、自らの意思で、給付を受け取る代わりに、請求権の放棄をする(和解契約の締結とも考えられる)か、給付を受け取らず、訴訟するか選択することができるのであるから、給付額が安すぎる等特段の事情がない限りは、憲法上の問題は生じえないものと考える。
エ 小括
債務が存するにも関わらず、法律上、損害賠償請求をすることができないとすることは、国民の裁判を受ける権利(憲法32条)や財産権の制限となりうる以上、無限定に認められるものではない。
ただ、現在のところ、判例を鑑みると広範囲に認められる可能性が存すると考えられる。しかし、免責制度は、医療崩壊を防ぐことによって、国民が十全に医療を受けることができるようにするという目的において、正当化されるものであり、問題のない医療行為に起因する民事訴訟から連なる甚大な被害を防ぐことでその目的を達成しようとするに止まるのであるから、社会保障として、医療に起因する損害の填補をすることは、憲法上の要請にかかわらず行うべきものと考える。
一方、狭義の免責制度ではないが、実質的に免責と同等の効果が得られるスキームがウであるが、その場合には、応報感情が強い者から2に挙げた行為を医療者が受ける可能性は避けられないこととなるから、医療崩壊への処方という意味での効果としては若干ではあるが弱いものとなる。
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